最後に残された幻のベタ
近年ワイルドベタの仲間は新種ラッシュである。毎年新しい名前のベタが魚類学者によって紹介され、小型魚マニアはもちろんのこと、ショーベタやプラカット愛好家の方々もワイルドベタを飼育される方が増えている。新種のなかには以前から知られているが、名前のない種類(spパンカランブーンとかspタヤンなど)に新たな学名がつけられ、一方、本誌1月号165ページで紹介したベタ・パリフィナのように新しい種類が発見されたりしている。 |
本種は西暦1893年にスマトラ北部に分布するベタとして学術記載された。今からなんと100年以上前である。しかしその後、現在に至るまで1世紀以上もの間、アクアリウムの世界に姿を現さない謎のベタだった。ひとつは記載された論文があまりにも古くてどこにいたのか、どんなベタだったのかが、はっきり分からなかったこと。もうひとつは、スマトラ北部は治安が悪く、危なくて探しに行けなかったことがあった。そのため長い間、実際に生きた個体の確認がされておらず、学者によっては、インベリスと混同されているのではとの意見もあったほどである。(実際スマトラ北部にはベタ・インベリスが分布している。) |
|
そこで、知人であるシンガポール大学のワイルドベタ研究家、タン教授とコンタクトを取った。すると今回、私の探索旅行に全面的に協力してくれることを約束してくれるという。さっそく私はシンガポールに飛んで、シンガポール大学にあるラッフルズ博物館を訪問した。ここは東南アジアに生息する様々な動植物の標本を一堂に集められた研究所でもある。
|
|
ベタ各種の標本ビンがずらりと並ぶ。ビンにはホルマリン漬けになったベタの標本が5~10匹ずつ入っており、ラベルには種名はもちろん、採集者、採集場所や時期などのデータが記されている。 | これがベタ・ルブラの標本だ!ホルマリン漬けになっているため、生きているときの色彩はわからない。しかしこの独特の太い縞模様のベタは今まで見たことがない。 |
私はシンガポールから小型機に乗って、西スマトラ州の州都パダンに到着した。空港では、友人のムリヤディ氏が待っていた。彼はまさにワイルドベタのスペシャリストでスマトラはもちろん、カリマンタン各地でワイルドベタを発見、採集し当店に送ってくれている。先述したベタ・パリフィナも彼が最初に日本にもたらしたのである。彼の家での話し合いの結果、アチェ州は危険なので手前の北スマトラ州でベタ・ルブラを探索しようということになった。 パダンを出発した我々は、北スマトラ州各地で10日にもわたって各地を探索したが、メダンというスマトラ最大の大都市を擁する北スマトラ州は人口も多く、水田や宅地開発も進んでおり、自然がほとんど残っていない。わずかに残る自然の細流や湿地を探しても、見つかるのはベタ・インベリス、あとはラスボラとローチばかり。もっともスマトラ産のインベリスはタイやマレー半島産とは違い、日本には入ってこないので超珍品なのだが、ルブラという大目標を持つ我々には全く眼中になかったのである。 |
|
ナングロ・アチェ州は北スマトラ州のさらに北西にあり、スマトラ島西北端の州である。ここはつい最近まで、インドネシアからの独立を目指す自由アチェ運動(GAM)という反政府ゲリラと、それを阻止するインドネシア国軍との内戦で住民1万人以上が犠牲になっている。3年前のアチェ大地震と津波によってゲリラは壊滅したが、バラバラになった兵隊が盗賊と化して、さらに危険になったのである。 |
我々はアチェ州に入った。北スマトラ州に比べると、人は少なく、原生林が広がっている。我々は喜び勇んでベタがいそうな小川を次々と捜索する。ところが、ベタはおろかグラミーもいない。採れるのはラスボラばかりである。やがて夕方になり、町に入りホテルにチェックインしようとしたのだが、そこで事件が発生した。ここがインドネシアの怖いところだ。
|
|
翌朝、すべてに失望した我々は、もと来た道を北スマトラ州へ向けて車を走らせていた。アチェ南部の霧深い山間部を走っていると、一晩寝ずに運転していたムリヤディ氏がふと車を停めて外に出た。私もあとを追って外に出て道沿いを歩いていくと、彼はじっと何かを見つめている。私には濃霧ではっきり見えない。しかし、しばらくすると朝の陽光で霧が薄れてきた。するとそこには美しいブラックウォーターが流れる小川があるではないか。 やがて霧が晴れてきて徐々に視界が広がってくると、広大な森林が姿を現したのである。ここはゴムのプランテーションで、ゴム林の奥からブラックウォーターが染み出てきているのである。ゆるやかな流れのなか、赤褐色の川底には独特の丸い葉をつけたバークラヤが美しく繁茂している。 |
|
私は今回も含めて6回にわたってスマトラでワイルドベタを探索している。 |
|
飼育に関して |